考えてない

お母さんによく、

わたしは考えてない。 と言われる。

 

元彼にも、仕事とか大丈夫なの?考えられてる?と言われたことがあった。

 

たしかにわたしは、ほんとにおかしいんだけれど、

昔から 「歩き方を考える」ことをやってしまう。

おそらく、考えることができる一日の容量があったとき、そこにほとんどがとられているのではないかと思うくらいである。

 

たしかに幼い頃、わたしはいろんなことを考え、想像していた。

壁を見ながら、あー人はいつか死んじゃう、だから自分が生きた軌跡を残さなきゃとか、

あと1秒経てば、1秒経った瞬間に、その1秒は過去になってしまうと気がついて、すごく胸が痛くなったり、

なんか随分小学生ながら、感傷的だった。

 

わたしはたぶん、ずっと小学生の頃の自分に憧れ、大人に褒められた自分がどこかにいるんじゃないかと探してるのかもしれない。

勉強もできて、クラスで一番で、えらいえらい褒められて、発表会では主役をやって、

そんな自分が輝かしくてたまらなかった。

中学時代くらいからか、自分がクラスのトップにはいられない、努力して10番目くらいの位置にいて、

なんか色々悟ってしまったのかもしれない。

そしてほんとはすっごく才能があるのに、

できない自分の像 をずっと被ってるのかな。

だからこそ、褒められるとすぐ涙が出てしまう。

 

あー、今日は将来を決めるかもしれない日だったんだけど、

うまくいったかわかんないや。むしろその分野、すごく難しいと思ってしまった。

まぁ落ちたらまた考えればいっか。

人生なんとかなるよなー。なるけど、1つのことを抜け出すのって大変だな。

 

やっぱりどこかで、現実主義的な発想が大事なのかもしれない。そりゃ大学でといたほうがいいし、ちょっと有名な大企業にいたほうがいいのかもしれない。それは別にステータスとかでなくて、生きるための戦略。

 

生きてかなきゃいけないから、

どこでも生きていける自分 をつくることももちろん大事なんだけど、

守ってくれるもの

を持つ道を選択してた方が随分と賢くて楽なのでは。

 

ホリエモンとかの本読んでたら、この考え方は矛盾してるんだけどね。

でもいろんな人に相談してて最近すごくそう思ったよ。

 

今日はちょっとポエム?っぽく書いてみた。

パソコンよりスマホの方がブログって書きやすい、すらすら書ける。

 

だんだん体力もついてきたし、いいかんじ。