わたしのスケジュール帳

16:19

この1ヶ月間くらい、どたばたで紙のスケジュール帳に予定を書きこむことをしばらくしていなかった。

私は紙に後から自分があったことの記録を残しておきたい派で、

そうじゃないと自分で起こったあらゆるイベントが世界から消えてしまうような感覚に陥るからだ。

当の本人が忘れてしまえば、起こった行事は誰からも覚えられることなく

消えてしまう。それはすごくすごく悲しい。

紙に一言だけ「〜ちゃんとご飯」とか、「〜にご飯を食べにいった」とかメモしておくだけで、

一生に一度しかないその日の起こった事がいつでも思い返すことができる。

3,4月スケジュールが真っ白だった私は、焦って1ヶ月分を書いた。ちょっと曖昧な記憶もあるけれど、スマホでメモした予定をたどっていくうちに、自分がこの日はこうしたかなーとかが蘇ってくる。忘れかけられていた記憶の誕生だ。

そうやって書いておくことで、いつでも私はその記憶を思い返すことができ、浸ることができ、それを糧にできる。だからこそ私は生きている限り、メモして、思った事を書いといて、自分が生まれた軌跡にするのだ。

あれ、何日か前に書いたブログのタイトルと似ている気がする、、笑

 

小学生の頃、私はその日に起こった事、先生が話していた事を朝から放課後の帰り道まで思い出して、事細かくお母さんに話していた。

お母さんはうんうん、って優しい目で、優しい笑顔できいてくれて、私は幸せ者だった。

一時期は学校が楽しくて楽しくて、放課後の掃除の時間とかが悲しくてしょうがなかったなー。まぁこれも時期による。私も学校が大嫌いだ!高校辞めてやる!っていうような時期もあったしなあー。

 

料理教室で、通っている生徒さんが、小学生の子持ちのお母さんで、言っていた。

いまの時代って多様性を認めていて、別に学校に行かなくても認められる社会にどんどん変わっているみたい。会社もそうだよね〜〜

でも学校が終わって社会人になった身としては、ちょっとふと考えてしまった。

まあたしかに学校行くのも行かないのも自由だよね!でもあのとき学校行きなよ〜とかいうお母さんの言葉が欲しかったんじゃなかったのかなって。

ほんとは行きたくないんじゃなくて、(ほんとに行きたくないだけかもしれないけど笑)、ちょっと反抗することで構ってくれるお母さんとか先生とか、心配してくれる友達とかそういう対応が欲しかった幼い私の心が隠れていたのかな〜〜って。

結局学校行きたくない、こんな変わり映えのない毎日つまらない!っていう感情も時間が解決してくれて、結局私はおとなしく卒業していった運命だったんだけどさ。

だからこそ、ほんとにいま多様性を認める時代になってるけど、「行きたくない」でそれでいいんだよ、って終わるだけじゃなくて、子供ながらのほんとの叫び声をきいてほしいな、って思う。私まだ20代前半なのに誰様だよ!って感じだけど笑

 

とにかくあの当時の私は、多様性を認めてほしいだなんて微塵も思ってなくて、

単に誰かの愛情が、毎日頑張って偉いね、っていう褒め言葉がほしかったっていうだけの話しだった。

 

ふと料理教室でパンをこねながら聞いた話しから、こんなことを思いました〜とさ。

 

そんなどてんば娘の私にいつも大丈夫!って言ってくれるお母さんには本当に感謝しています。

 

18:29

さびしいな〜〜とっても寂しい。

慣れないなー

誰かに会いたくなったときに会いたいし、寂しさって誰かに埋められないよっていうけど、

別に誰かで埋めてもよくない??

まあ時間が解決するものなんだけどさー。。本とか映画とか明日のこととか考えてれば寂しくはなくなる。けど落ち着く場所に帰りたいよね〜〜〜

 

18:42

寂しさを埋める方法ってなんでしょう、、

早く帰りたいってなってるのにこのなれない状況が最高にもどかしいーーー!

明日こそさっさと帰ろうかなーと企み中

 

21:06

なんか今日はいろんなことをして考えて疲れてしまった。はやく寝よう。

やっぱり誰かと話していろいろ行動をしている方が自分には合っている。

 

22:42

アンチクライスト?見てるんだけど、なかなかに内容が重いね、、

家で一人で夜に見るもんじゃないかもしれない笑